ショートショート「豊穣の街道」(3500文字)

ショートショート-Novel-

 ある日の夕方、私はとある街を訪れた。

 その街はずいぶんと寂れていて、歩を進めると道の端々に浮浪人が住居代わりとなるテントを張っていた。中には一目で盗品と分かるような品を並べ露店を開いている者もいる。

(この街にはあまり長居しないほうがいいかもな……)

 そんなことを思いながら、私が通りを足早に通り過ぎようとしたときだった。

「兄さん、旅人かい?」

 道の端からしゃがれた声が聞こえ、私ははたと足を止めた。

 声がした方を振り向くと、浮浪人であろう老人が民家の壁を背もたれにしてこちらを見上げていた。老人の背は低く髪や髭は伸び放題で、薄汚れたつなぎを身につけている。

「えぇ、まぁ……」

 もちろん私にはその質問に応える義理はなかったが、妙に耳につく老人の声に思わず返答してしまっていた。

「そうかい。なら、そっちの路地のほうへ行くと面白いもんが見れるぜ」

 老人は今いる通りから枝分かれする細い路地のほうを指差しながら言った。

 その指の先へ目をやると、私は初めてそこに先の見えない路地があることに気が付いた。

 言われなければ気付かないであろう、暗がりの中にある細い道。道は長く続いていて、遠くに橙色の傾きかけた陽の光だけが見えるが先に何があるのかは分からない。

「すみませんが、急いでいるので」

 しかし、わざわざ見ず知らずの人間に話しかけてくれたこの老人には悪いが、何か不穏な空気の漂うこの街を私は一刻も早く抜けたかった。

 私が頭だけを老人へ向け一礼して、止めた足を再び動かそうとした時。

「遊郭だよ」

 足より早く私の耳がぴくりと反応した。

「その路地を抜けると、遊郭がある。この辺じゃ割と有名なところだ。兄さんも男だろう。興味あるんじゃねぇか?」

 そう言われてみれば、私自身ここしばらくはそういった場所から離れていた。

 それは旅で見る景色や出会う人々に夢中になっていたからだが、先ほどの老人の言葉を耳にすると結局は私も百八の煩悩を持つ一介の男に過ぎないのだろう、急に意識がそちらへ引きずられていく。

「へぇ……止まったね。どうだい? 見ていくだけでも」

 さっきまでは道端にたむろする浮浪者の一人としか思っていなかった老人の言葉一つ一つが、今ではとてつもなく魅惑的に聞こえる。

 結局、その言葉の魅力に抗えなくなった私は、少し覗くだけだと自分へ釈明をするように言い聞かせ、暗い路地へと入り込んで行った。

 陽はもう沈みかけていた。

 家屋同士の垣根に挟まれた苔むした路地は、その隙間を通り抜ける間中ずっと息苦しく感じられた。

 しばらく進むと、もう陽は沈もうとしているのにも関わらず、道の先が変に明るいことに気付く。さらに進んでいくと、それは自然光ではなく人工的な明かりであることが分かった。

 空は夕闇に覆われ始めているのにも関わらず私の視線の先は橙色の灯火がちらちらと揺れている。

(これは……灯籠か、行灯の光か)

 私はさらに歩を進め、もう目の前に迫った橙色の光へ思い切って飛び込む。

 通り抜けた道の先には、浮浪者達がたむろしていた先ほどまでとは全く違った景色が広がっていた。

 まず目につくのは、女。まるで別の街かと見まごうほどに、そこかしこには女達が居並ぶ。

 彼女らは細かくは異なれど皆一様に肩や腿を露出させた扇情的な格好をしており、それはまさに遊女といった出で立ちだ。加えて、薄暮の中、脇道に並ぶ木材で組まれた灯籠や行灯に照らされた女らは、今の私にとっては一層魅力的に感じられた。

 私はごくりと生唾を飲み込む。

 これまでの旅の中では節制した生活を送ってきたおかげで、金の心配はない。ここらでちょっと羽を伸ばしても罰は当たらないだろう。

 私が甘い蜜に吸い寄せられる羽虫のように街道をふらつき物色を始めると、それを見つけた遊女達も目の前の獲物を逃がすまいと、思わず付いて行ってしまいそうになるような文句で言葉巧みに誘惑してくる。周りの数少ない男達もそんな甘言につられ、一人また一人と街道の左右に立ち並ぶ家屋の中に女と共に消えていく。

 そんな中、ふと、とある女に目がいった。

 他の女達が男へすり寄っていくのに対し、その女は反対に通りへ背を向けていた。和装に身を包み、長く艶やかな黒髪を後頭部の高い位置で一つにまとめている。

 私が気になったのは、客になり得るはずの私に対して背を向けるその姿勢だけではなく、和服の襟から伸びる真っ白な首筋とうなじが実に蠱惑的だったからだ。

「おい、そこの」

 私が声をかけると、女はゆっくりと振り向いた。

 こういう商売柄、白粉は塗っているのだろうが、それにしてもその顔は本当に血が通っているのかと疑うほどに白く、そのせいで目張りで赤く縁取られた少しつり上がった目が際立つ。

 そして血のように真っ赤に染められた唇は開かれることなく、私に向けてただ薄らと笑みを浮かべていた。

 明らかに他とは異なる彼女の様子に、私は一気に惹かれた。

 私が彼女の目の前に立つと、女は少し腰を折ってお辞儀の姿勢を見せ、背後にある木造の建屋の引き戸をガラガラと開けた。その建屋の外見は他のものと比べると、やや築年数が経過して古臭く手入れもあまりなされていないように見受けられた。

 しかし、その程度は目の前の女の魅力に比べると瑣末なことであり、私は気にも留めず女の後に続いて家屋の中へと歩を進めた。

 私が中へ入った途端、女によってピシャリと引き戸は閉じられ、続く玄関で履物を脱ぐように促される。

 屋内は暗く、長く続く廊下の奥のほうで行灯の灯りがゆらゆらと揺れている。

「なぜ、背を向けていたんだ?」

 廊下を先導する女の背に向けて、私は問いかけた。

 見事に釣られてしまった私が言うのも何だが、それがどうしても気になった。

「こういうところでは、そうしていたほうが逆に目立つんです。それに……」

 小さな声で女が答えた。確かに、他の女達が客引きをしている中であのような姿勢を見せられると嫌でも目立つ。あれは彼女なりの処世術だったというわけか。妙に腑に落ちてしまった私は、その後に続く彼女の呟くような言葉に意識がいかなかった。

 部屋の角に行灯が揺らめく部屋に入ると、中央に一組の布団が敷いてある。私が気分を高揚させていると部屋の隅、行灯の対角上にある物体にふと気がついた。

「あれは何だ?」

 暗がりでよく見えないが、それはまるで虫の繭のような形をしている。かなり大きく、成人男性のくらいの幅はあるだろうか。それが二、三、積み重なるようにして置いてある。

「あれは代えの布団です。さぁ……」

 女は私の気をそらすように衣服を脱ぐように促す。その様子が私は少し気になったが、頭はこれからのことで満ち満ちていて、それ以上のことは考えられなかった。

 私が衣服を脱ぎ捨て裸体を晒すと、それを見た女は少しだけ表情を崩し、しかし唇は真一文字に閉じたまま、薄ら笑みを浮かべた。布団に仰向けに横たわると、女は覆い被さってくる。

 ちょうど天井を見上げる私の顔の横に俯いた女の顔がある体勢。私が期待を膨らませる、そんな中、私の耳元で女が囁いた。

「それでは……頂 き ま す」

  その瞬間、首筋に走る一瞬の痛みとともに、私の意識は暗転した。

・・・・・

 風の噂でこんなことを聞いたことがある。

ーー遊女に混じる蜘蛛には気をつけろ。

 何でも、人間に化けた蜘蛛が遊女に身を扮して男を襲うそうだ。

 そのやり口は待ち一辺倒。まさに巣を張った蜘蛛の如く、獲物がかかるのをじっと待つらしい。

 蜘蛛女に声をかけたが最後、部屋へ連れられ鋭い牙から神経毒を送り込まれて一瞬で身動きを取れなくされる。

 その後は大量の糸で絡め取られて、捕食される番を待つ以外にない。蜘蛛は捕らえた獲物をしばらく置いておいて後でゆっくりと捕食するんだ。

 蜘蛛が人間に化けるなんて普通じゃあり得ない。あくまで噂だが、念のためだ。

 捕まってからじゃ、もう遅いんだからな。

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