「THE LAST OF US PARTⅡ」(ラスアス2)クリア後レビュー(ネタバレなし) 賛否両論の理由を考察!

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こんにちは! ノーティドッグのゲームは「クラッシュバンディクー」の頃からプレイしているコニィです。

今回は、「THE LAST OF US PARTⅡ」(ラスアス2)をクリアしたので、クリア後の感想となぜこのゲームが賛否両論あるのかの理由について綴っていきたいと思います。

↓前回のレビュー記事はコチラ!↓

ノーティドッグすげー。

発売直後からそのストーリーに賛否両論のあった本作。

私はできる限りネタバレ無しでプレイして色眼鏡なしにストーリー全体を感じてみたかったので、そういったネタバレ記事はタイトルこそ目に入ってきすれど内容は見ないように心がけていました。

そうした経緯があった上でクリア後に出た率直な感想は、「ノーティドッグすげー」でした。

キャラが先か、ストーリーが先か。

1作目がps3史上最高傑作とまで言われていた中で、続編にこの物語を持ってくるかと。

1作目はストーリー全体を通じてジョエルとエリーの1つの物語であったのに対して、今作はエリーとアビーの群像劇でした。

ここが批判を受けたポイントの1つですよね。

1作目からのファンは、ジョエルとエリー、もしくはそれが不可能だとしても2人のいずれかの物語を期待していたはずです。

それが今作からぽっと出、しかもとある理由で初っぱなから好感度ガタ落ちのアビーをキャラクターとしてプレイさせられるのですから。

個人的には、物語が進んでいくにつれてアビーに好感を抱くようになって、最後のほうは今作はアビーの物語だと感じてすらいましたが(笑)

ただ、1作目からのファンでジョエルとエリーにガッツリ感情移入していた層は、当然面白くない。

ノーティドッグは、ラストオブアスというゲームはジョエルとエリーが中心の物語ではなく、ラストオブアスの世界観で繰り広げられるドラマが中心の物語だと言いたかったのではないか、と私は思います。

言ってしまえば、ノーティドッグにとってジョエルとエリーは世界観を構成する2人のキャラクターでしかなく、だからこそ今作ではプレイキャラクターとして2人に深く関わるアビーを持ってきた。

物語最終盤。エリーの背中が語るものとは……

キャラが先か、ストーリーが先か。

卵が先か、鶏が先かみたいなことになってますが、要はそういうことだと思います。

ノーティドッグにとって、ラストオブアスはストーリーのゲーム

多くのファンにとって、ラストオブアスはジョエルとエリー(キャラ)のゲームだった。

最近の日本では特に顕著なのですが、ゲームや漫画などのサブカル文化においてキャラクターが重要視され過ぎている側面があると思います。

メディアミックスという手法が確立している以上、この流れは避けられず、だからといってそれがダメだというわけではないのですが。

アメリカのサブカル事情は詳しくないのでいま現在どういう状況なのかは分かりませんが、少なくともノーティドッグは”ストーリー先”の物語としてラストオブアス2を発売しました。

それが”キャラ先”の傾向が強い日本ではあまり受けなかった。

そういうことなのだと思います。

エピローグ。エリーはジョエルから託されたギターを置いて去って行く。

私は、そんなゲームを発売するノーティドッグの姿勢を感じて、前述した「ノーティドッグすげー」の感想が出たのでした。

私はお話として”キャラ先”・”ストーリー先”、どちらの物語も好きなので、今作をクリアした時、質の良い映画を観終わった後のような感動がありました。

キャラが先か、ストーリーが先か。

こういった視点で改めて「THE LAST OF US PARTⅡ」の物語を見てみると、なぜこのゲームが多くの批判を受けているのかの理由が見えてくるかもしれませんね。

↓前回のレビュー記事はコチラ!↓

今回は以上です。ご閲覧ありがとうございました!

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